2日前ですが。
1月17日は「おにぎりの日」らしいですね。
13年前の阪神淡路大震災での炊き出しのおにぎりが発祥らしいです。
で、ふとその当時の様子が気になったのでニコニコなところで探し、
地震発生当時のテレビだとか、20世紀の地震を教訓にして防災に役立てる映像教材だとかを
ずーっと見てました。



地震怖い。



次はきっと、ここ、宮城です。



地震が来たらどうするかを普段から考えるのは大事です。
ちょっとシミュレーションしてみました。
あくまで妄想です。
きっと都合のいい設定もあることでしょうがそれは妄想だからです。



地震発生

と、ここでいきなり壁にぶち当たります。


先ほど観ていた20世紀の地震まとめの映像の中で
1978年の宮城県沖地震において、
明らかに今僕が住んでいる場所、あるいは近所と思われる傾斜地が
ものの見事に崩落していました。


こうなってしまっては、生死を彷徨いながら自衛隊を待つばかりなので
これ以外について考えてみます。
暗くても懐中電灯を手にできるようにして置いておくのは基本だぜ。



(1) 〜震度5弱ライフライン・自宅は無事
親に連絡「全然おkです」
NHKとvipで状況把握、場合によっては研究室に顔を出す。
部屋の片づけ。 余震に対して心の備え。 嫁に添い寝。



(2) 〜震度6弱ライフライン死亡、自宅は無事or被害あり
手近なものを持ってとりあえず研究室へ避難。
きっと近くの避難所じゃなくて研究室に行ってしまうだろうなぁ。
必要に応じて自宅の備蓄水や着替え、嫁等を持っていく。
覚えていればドコモの災害情報掲示板に安否情報書き込み。
可能であれば帰宅。
市の給水車に並ぶ日々。
「湯船のお湯捨てなければよかった」



(3) 震度6強〜、ライフライン死亡、自宅に被害あり
余裕ゼロ。
少なくともお財布と携帯を手に、できれば通帳と印鑑とウォークマン(FM聴取可)を持って
なんとか防寒の用意くらいはして完全避難体制。
携帯は通じません。 
原付に乗ってみます。


研究室に行く

研究室が避難おkな状態であれば(2)と同様
それ以外なら自宅近くの避難所へ

安否情報掲示板に書き込み

携帯が非常に繋がりにくい中で親から電話orメール
親 「ちょっと、あんた大丈夫なの?」
僕 「僕は大丈夫ですが仙台はあんまり大丈夫じゃないです」
親 「こっち(北海道)に来れないのかい?」
僕 「頑張ってみます」
たぶん親から連絡なくても動く

原付に乗ってみます。
道路には亀裂&激しい渋滞。 原付の俺勝ち組w

壊滅状態の仙台からどうやって脱出しようか?
航空機→×
新幹線・在来線→×
高速バス→×
仙台発フェリー→×
原付→△(道路状況による)

とりあえず古川まで行ったら新幹線動いてそうじゃね?

折り返し便の運行はまだですかそうですか

とりあえず一関まで行ったら新幹線(ry

まだですかそうですか

とりあえず花巻(ry

いわて花巻空港? もしや!!
花巻―新千歳便→○
ktkr

持ってて良かったクレジットカード
良く頑張ったね僕のレッツ4ちゃん(原付)
そして新千歳到着

天下のJR北海道が運行する特急で地元へ

怖かったよぅママン

ぬっこぬこにされる日々

おっおっ、ライフライン復旧かお、そろそろ仙台に帰るかお

どうやって?

(=ω=.)
(仙台周辺の鉄道・港岸壁・空港の復旧はまだ先?)

もうちょっとゆっくりするお




やべぇ、完璧すぎる(妄想の中では)。
たぶん避難生活開始が確実になった時点で実家に帰ろうとすると思います。


あああ地震なんてホント起きてほしくない。