食べたい…というよりは、とても作りたくなったので。



豚汁。
こういうの作ると、なぜか大鍋一杯になっちゃうんですが
最近なんて特に、昼食夕食は確実に生協で、
朝食は家で食べるかどうか…ってレベルなのに
食べ切れるのだろうか…(´・ω・`)



鍋から一滴もこぼさないようにしながら
通学路の数あるカーブを原付で攻めて
これを研究室に配達してみようかね。  ←無理です
紙コップに入れた水よりゃ楽な気がするんだけども。


豚汁。 ぶたじる。
わりと「とんじる」って読む人が周りに多いんですけど、
自分の場合は昔から「ぶたじる」って呼んでいたので、
こっちのほうが馴染みがあるのです。
だから、小学生の頃とか「ぶらじる」って聞くと
なんとなく味噌の香りが漂ってきたものです。 気分的な問題ですけど。


ちなみに田村ゆかりんも「ぶたじる」って読むみたいなので
こっちの勝ちです。



そういえば、豚といえば
地元ですき焼きに使う肉といえば豚肉が普通でした。
いやいや! 決して実家が貧乏というわk…否定はできないけども!
こっれが本州人から徹底的にバカにされる。
いいじゃん! 豚肉! うまいじゃん!
それに、北海道帯広市といえば、名物は豚丼じゃないですか。
知らない人の方が多そうだけども。


十勝の開拓の祖、依田勉三翁はこんな句を残しました。


「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」


依田勉三翁が立ち上げた晩成社による開拓事業は
まさに苦難の連続でした。
イナゴの大発生、天候不順、資金難等々…
食べるものがない時には、豚と一緒にわずかの雑穀で乗り切ったのです。


また、この晩成社という会社の小さな事業から始まった、
十勝における酪農は、この地に深く根ざすことになります。
六花亭のマルセイバターサンドを包むカバーも
晩成社が製造したバターのラベルのデザインを生かしたものです。


明治に入ってから開拓事業が始まった十勝。
原野が切り開かれ始めたその瞬間から、
人々の生活に欠かせなかった豚。
そんな豚肉を使った、すき焼き。
こうした壮大な物語に思いを馳せてみることで
よだr…涙を禁じ得ません。



まぁ、ここまで書いといて、同じ十勝民に


「ウチはいつも十勝牛でしたよ^^」


とか言われた日にゃあ、目もあてられない。